MENU

ブログ

第10回 赤ちゃんと子どもの死を考えるセミナー2012 vol5

次に崇仁を幸せにするために 具体的にとった行動をお話しします。

 

まず、苦痛をやわらげ、安楽な状態を心がけました。 

私にできることは、平日の夜と休日にとにかく抱いてあげることでした。身体を自由に動かせず、同じ姿勢が続くと苦痛だろうとの思いからです。

その他に、お風呂に入れてあげる。痰の吸引をする。夜中私が目覚めたときには、姿勢を変えて寝返りをしてあげる。おしゃぶりを吸いたがっているときは、口元にもっていってあげる。

手足が冷たいときには、握って人肌で暖めたり、おなかが痛そうであれば、手で暖めてあげ、さすったりしました。気功の先生にもきてもらったことがあります。とにかく、自分が崇仁と同じ状態の身体であれば、なにがしてほしいかを考え、自分がしてほしいと思うことをしてきました。このようなことを繰り返す内に、息子の辛そうな状態が和らいだりするとこちらまで嬉しくなり、心地よさそうな表情や寝顔を見ていると、なんともいえない愛おしい気持ちが生まれ、息子を癒しているつもりが、むしろ私の方が癒される感覚がありました。

○《これは、入院中にロタウイルスに感染し、生死をさまようほどの辛い入院を乗り越え返ってきたときの映像です。》→

点滴をしていたにもかかわらず、極度の脱水と低栄養から、一時は本当に危ない状態に陥りました。

夜8時までの面会でしたが、この時は、付き添いが認められ、24時間交代で看続けました。

意識が戻ったときには、頬はコケ、髪の毛がすっかり抜け落ち、唯一できていた指しゃぶりもできなくなっていました。

それでも、本当によく頑張ってかえってきてくれたと思います。

それ以来、入院中の感染を極力避けたいと思い、多少の風邪などであれば、入院を勧められても、点滴だけしてもらい 家に帰れるようお願いするようになりました。

 

○《わたしが、崇仁用に作った椅子です。社長椅子と呼んでいましたが、緊張が強まると、反り返り、ずり落ちるので、残念ながら、あっという間にお蔵入りとなりました。》→

発泡スチロールで作ったので、静電気で家中粉だらけとなりました。私の嬉しそうな顔とは対照的に、崇仁はしんどそうでしょ? これは、私の自己満足で終わりました。

 

次に 崇仁を幸せにするために、楽しそうな体験をさせてあげる。

○《私も妻も好きな映像の一つです。(これはロタウイルスに感染する前です)》→

家では、常に音楽をかけ、妻はよく歌を歌ってあげていました。特に指導を受けたわけではありませんでしたが、自由に動かせない身体をほぐしてあげるためにもこのように、音楽をかけ体操もよくしていました。そんな様子を私はよくカメラで撮影したものです。

 

 

夏の暑い日には、酸素ボンベを背負って、森林浴にもでかけました。森の香りや、そよ風に吹かれる心地よさを体験させてあげたかったからです。

 

また、空気のきれいなところで、お風呂に入れてあげようと、穂高の露天風呂にもいきました。(この左手の変な格好は、露天風呂があまりにも熱すぎたので、注水しながら入っているのです)

旅行には3つの楽しみがついてきました。

1つ目は、旅行前、計画する楽しみ。今度はどこに行こうか?崇仁にどんな経験をさせてあげようか?わくわくしながら計画しました。

2つ目は旅行中。

3つ目は旅行後、撮影した写真や映像をみて振り返る楽しみ。

崇仁の命がある内に、旅行に連れて行ってあげたいという思いから始めたのですが、その楽しさに引き込まれ、二人目がうまれてからも、定期的に旅行へでかけるようになりました。

 

「自分が幸せになることへの戸惑い」

「人を幸せにするためには、まず、自分も幸せになる必要がある」

理屈ではわかるのですが、最初、自分が幸せになる努力をすることに戸惑いがありました。

崇仁がこんな状態なのに、自分の幸せを追い求めて良いのだろうか?なにか、うしろめたい思いがこころの片隅にありました。でも、よく考えてみたのです。自分が不幸と思うこと自体が崇仁に申し訳ないのではないか?と思ったのです。

崇仁が生まれてきて私が不幸と感じてしまったら、崇仁の気持ちはどうなるのだろうか? 「僕は生まれてこないほうがよかったの?」と言われているようでした。

私は、崇仁がこのような状態であっても、不幸だとは、絶対に思いたくはありませんでした。だからこそ、崇仁を幸せにしたかったし、自分も含めて、家族全員が幸せになるために、どうしたらよいかを考え行動していこうと決めました。