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第10回 赤ちゃんと子どもの死を考えるセミナー2012 vol4

「家族3人での生活をスタート・・・」     

私は、崇仁と肌で接する時間が増すにつれ、父としての愛情と感情が、自然と伴ってきました。

その頃の妻は、崇仁との生活を楽しんでいるものの 気を休めることが、できない状態でした。分刻みでびっしり書かれてある育児日記からも その様子を伺い知ることが出来ます。

しかし そんな状態で看ていられるのにも限界があり、1週間もすれば 睡眠不足に陥り 夜泣きする崇仁に声を荒げるようになってしまいました。

そして 2週間が経った日の早朝・・・・・

妻が崇仁の呼吸が停止ししてることに気がつきました。すぐNICUに連絡を入れ、救急車を呼ぶより自転車で走った方が早いと判断し、私は、崇仁の蘇生を続けながら、妻の後ろに乗り病院に走りました。

発見が早かったお陰で一命をとりとめ、すぐに崇仁を連れて帰ることができました。

いつまたこうして呼吸を止めてもおかしくない状態と 24時間の医療的ケアを必要としていたので、妻の緊張とストレスはすぐに、ピークに達しました。

「なんで、寝てくれないの!」と叫びながら、妻が崇仁に手を上げてしまったのです。ストレスと寝不足からくる疲れに加え、どれだけ、手をさしのべても、崇仁が怒って眠らないことに、夜中、正常な状態を失いました。

私はすぐに、交代し、妻を寝かせました。日中仕事をしている私のことを気遣い、妻は、限界まで頑張ってしまったのだと思います。妻の悲痛な叫びに、私には「助けて!」と訴えているようでした。

一番辛いのは崇仁である。妻も十分に解っていました。崇仁が怒っているのは、自由に動くこともできず、呼吸すら楽に出来ない状態で、更に、眠ろうとすると、まるで口をふさがれるかのように、気道がふさがり、息が出来ない苦しさから目が覚めてしまう。まさに悪循環でした。

介護疲れにより哀しい結末となった事件を新聞等で目にするたび、これは人ごとではないと感じました。睡眠不足や疲れが蓄積してくると、やさしさや、いたわりといった気持ちが失われ、正常な判断ができなくなる怖さを妻だけでなく、私自身も体験しました。

この出来事以来、私に出来ることは、大きく、二つ考えられました。ひとつは、直接崇仁に接して一緒に育児に関わること。もう一つは、妻のバックアップをすること。妻が、睡眠不足やストレスから、疲れを限界まで溜め込まないように、適度に休息させること。それが、結果として崇仁の為につながっていくと気がつきました。

妻と話し合い、疲れが限界となる前に、共に声をかけあうこと。夜中、崇仁が眠れないときは1~2時間で交代することにしました。日中仕事をしていた私も体調を壊さないように、こまめに仮眠をとったり、コーヒーを飲んで、眠気を覚まし、仕事に支障をきたさないようにしてきました。

このようにして、お互い協力して乗り越えてきましたが、看護師さんの助けも忘れることが出来ません。退院後、出勤前後に顔を出して、様子をうかがってくれたり、散歩に誘い出してくれたり、応援や励ましのファックスを送ってくれたりもしました。(当時は携帯電話もメールもなかったので)

当時、崇仁の状態で通園できる場所もなく、日中、自宅で一人 崇仁を見続けないといけなかった妻に、このような形で寄り添い支えてくれたことがどれほど有難かったか。感謝の気持ちでいっぱいです。